“違う”こと

僕らは何に対しても微々たる違いまでは感じようとしない。

猫達は家族が帰ってきてドアを開ける10秒前には察知して、玄関に走って待っている。

猫達の敏感なセンサーにひっかかっているのは、エレベーターの音、足音、もしかしたら匂い。

やっぱり動物の五感はすごいなと思う。

彼らのセンサーは妥協しない。

僕らは何に対しても微々たる違いまでは感じようとしない。

足音は足音としてまでは、“分ける”けど、誰の足音までは「分けられない」。

リンゴも“リンゴ”というカテゴリーの中に入れて、赤くてもちょっと黄色くても“リンゴ”という。

「ちょっと色違うな」

と感じててもやはり“リンゴ”。

“腐ってそう”

まではわかるけど、

“腐ってる”と“腐ってない”

の境界は「分けられない」。

社会の中で生活していくために、共通認識は必要だ。

だけど、人は違いを見分ける作業を怠りすぎて、動物に比べて鈍ってしまった。

人間はコンピュータを使ってそのセンサーを補う。

そして、もっと鈍る。


・特徴や共通点を探し出して、カテゴリー分けする能力

・微々たる違いを見分ける能力

どちらも必要。(下は上を兼ねるのかな。)