引き出される事を狙う事。



僕の興味は三万と散漫。

これまでの僕を見てきて、興味が一つにとどまらない事から、

両親は僕を信用していない。

やりたいと思った事を話しては、頭ごなしの反対が続く我が家の食卓。

でも今夜その戦いに終止符を打つ一言が舞い降りた。

桑沢とMITが直結せずに不満な顔を浮かべる両親への

快心であり改心の一撃。









「僕は自分が引き出される人や場所を探して、狙って、進むの」









ポッと出てきたこのセリフは、

ここ1〜2年の集大成かもしれない。と思った。


ここ1〜2年で何度か、

自分の中に潜む、自分ではアクセス出来ない自分、

を引き出されている感覚を覚えた。

「引き出されている。」

確実にそう感じる瞬間で、

現実的に、引き出された時の自分のパフォーマンスの絶対値をとれば、

対して誇張できるわけでもないけれど、

普段のパフォーマンスよりは、確実に高い自分がいて、

単純に、その状態が多ければ多いほど、僕の進化は速くなるような気がした。




今考えていること、2つか3つ。



1つめ、

「引き出されていない状態」で居続けることの危険性。

つまり、もしそうであるならば、同じ場所にとどまっていないで、

早く引き出される環境に移った方が良い、ということ。


2つめ、

面白そうなことで溢れている今の時代、早々とやりたい事を絞る方がリスキーだと思う。

それよりは、なんでもいいから高いパフォーマンス(引き出された状態)を維持し続ける事が

大事だと思う。

そのために、自分を引き出してくれる環境や人を求める。

また、

自分がその場所で引き出されるかどうかは、

自分がそれを好きかどうか理屈をこねるよりも、

直感で感知する方が信憑性が高い気がしてる。


最後は、

「引き出される」

という行為は、受動的ではなく、とても能動的な行為で、

その上、めちゃくちゃハイクリエイティブな行為だと思う。ということ。




そんなわけで、進路を他人に説明しなきゃならないこの季節。

とりわけ、やりたいことの一つ一つが関連していない僕には、少し面倒な季節なのだけど、

僕は「人を説得しやすい生き方」ではなく、「引き出される場所を探し続ける生き方」を

断固貫き通すのだ、と自分に誓ったのでした。


それになにより、引き出されている時の自分に出会い続けたいです。