音楽作品流通に関するある違和感について。

「誰かが頑張って創った作品から、誰かが力を貰い、その感動を自由に伝えあうことが、
さらなるクリエーションを生むことにつながる世界 -dan



フューチャリストな友達からメールを受けて、

僕も考えてみた。僕も音楽作品のコピーコントロールとか、

作品全般の著作権に対して、なんとなーく違和感を感じてるから。




作品の人生について。


僕の目からワクワク重視で描いてみます。




母と作品と子



「作品は自分の子供」

ってよくきくけれど、

単なる上手な言い回しにも聞こえる。


この表現がその上手い言い回しなのか、深いとこで合致してるのかどうか、

母と子のモデル(変な言い方。。)と比べて考えたら、

作者と作品のモデルは、重要な部分が、違っているなと思った。


・似ている点----------------------------


ます、母と子の関係を想う。


子供が生まれる。幸せ。

子供を育てる。幸せ・充足

育てた子供を社会に送り出す。



次に作者と作品の関係。

作品のアイデア・動機が生まれる。めっちゃ嬉しい

イデアを育て、作品を完成させる。めっちゃ楽しい

世に発表する。



ここまで。--------------------------------



それで、ここから両者に違いが出てくる。



・子供の場合、巣立つ時期までは、親の管理・教育下に置かれるけれど、

巣立った後は、親の介入に限界がある。

誰に出会うか、何をしでかすかわからない。



・作品の場合、巣立った後も、作者や発表側の制限が加わる。

具体的にはコピーコントロールだったり、作品が置かれる環境だったり。

一応、作品はお金を払った人にしか出会えないことになっているし、

勝手に使われてはいけないことになってる。




僕が重要だと思うことはこの次。



「作品の価値や子供の能力って、いつ評価されているか。」


子供の場合、社会に出て、何かを成し遂げたとき、新たな価値を生み出したとき、

大きな評価を得る。


作品は、生まれた瞬間、CDアルバムであれば、一枚3000円の値段がつく。
(こっから主に音楽作品の話)




ここが僕にとっての大きな違和感だった。




なんで生まれた瞬間、値段ついてるの??価値があるかどうかはまだわからんでしょ。

という疑問。


その背景には、

聴いたことものは、聴いてみないと価値があるかどうかわからん。

「好きなアーティストの新曲=自分にとって超好きな曲」って保障されてるっけ??

みたいなのがあるとおもう。


だから、



作品も、世に発表されて、それが評価されるに従って価値が付いていくものだと。

そんな人生を歩むのが自然だと、思うんです。

ちょっと芸術品チック。

CD3000円ってハナから決まってて、爆ヒットしても、そうでなくても、

同じ3000円、ってとこにも違和感あるな。



それで、もう一つ、面白いかも、って思った事がある。


子育て期間の話。


子育て期間って、親が子供に、社会との接し方を教えてくような期間。


作品の場合も、発表までの間、作者なりに考える、その作品の人生を設計されてるだろうから、

お金の話はそこで考えたらよいかもしれない。


発表からの一定期間で(作品が勝手に広まりまくるまでの期間)、

ビジネスをしたら良いかもしれない。



たとえば、

人気アーティストが曲を発表後1週間は、HPのみから曲を無料で配信する、とかいう選択をしたら、

配信当日、以後一週間。そこのHPのトラフィックがヤバいことになりそう。

音楽自体には値段はついてないのが良いし、

アーティストの評価や信頼性が評価されて、

一週間限定のビッグな価値が生まれてるのも良い。




そんな感じで、もう一回、僕がここまで書いた事をまとめると、


こんな倫理観。


子供は価値をつけられるものではなくて、新しい価値を生み出す役割を担っているもの。

親はそんな子供を育てられたら幸せ。

作品も、作品とお金を結びつけるよりは、

作品が社会で生み出した新しい価値にお金が付いていけばよいね。






「作品がわが子のようだ」

というフレーズから、

とことん、母と子・作者と作品、を同じに捉えた世界を考えてみた。

利害、弊害、矛盾、抜け道は、やはりどの世界にも生まれるだろうけれど。



おわり



追伸



僕、作品って本当に子供だと思う。


「お母さんはあなたを産んで本当に幸せです」


そんな言葉が浮かぶ。