Re:表現編集の仕組み

もっともっとOUTPUTの連鎖が起こりまくりの世界を。。。と思う今日この頃。


友達の文章を読んでハッとした。

「表現編集の仕組み」
http://d.hatena.ne.jp/dans/20071108/1194499976



「自己表現と触発について」  

>人は表現を消費することで、escapeすることが出来る。
>ハリウッド映画を見る。しかし、癒やされきれない。

表現者は自己表現によって自己救済を果たすと同時に、
そのOUTPUTに触れた人々をescapeさせる


「escape」って言葉のドンピシャ具合は、提出間近のレポートを書く手を止めて早速返信してしまったほどだった。



OUTPUTの連鎖が起こると、

誰かの自己表現が本人を救い、一方で、新しい誰かを触発し、
触発された誰かが、表現することで救われ、その表現がまた新しい誰かを救う。

だけど、OUTPUTを受け取ってescapeしてる以上、その連鎖は望みにくいなって思った。


本来他者を触発できるほどの表現力を持った人(スーパー表現者)は
メディアで活躍することで、触発ではなく、
圧倒的な距離感と、先入観を与えてしまうことがあると思う。


「歌は聴くもの」「絵は見るもの」「工業品は使うもの」、「本は読むもの」

多くの人に、こんな先入観が必ずあるのは確か。


こういう姿勢で受け取った表現はその人に良質なescapeをもたらす。

escapeの姿勢で他者の表現に触れる人が、新たな表現で誰かを救うことはない。


スーパー表現者との距離感は、地位や名誉からくるんだと思う。表現力の差じゃなくて。

となりが歌えば、自分も歌う。となりが歌えるなら自分も歌える。 

一方、アマチュア同士の触発力って凄いデカいと思う。

たとえば、浜崎あゆみの表現よりも、身近な人の表現に触発される。
前者は触発ってよりは、諦め前提の憧れ な気がする。


他に、

ネットでたまたま通りがかったblogで素晴らしい写真の才能を見る。

もう、悔しくてしょうがない。

blog(を自己表現の一つとして)の更新を促進するのは身近な人の活躍なのかもしれない。(たとえばね)



>「乗っかった人々」を更に磨き上げる仕組みが、
>「乗っかれなかった人々」には存在していません。


編集者はめっちゃ必要だと思う。審査員も。

編集者ですら自分の本出す時には、人に編集してもらうくらいだから、
ホントに必要だと思う。


自己表現って自分の中に起こった感動(+も−も)をOUTPUTすること

で、一見、完全主観で行うもので、誰かが手伝うとかなさそうだけど、

実は、誰かの助けによって、本人もより納得する形が引き出される事ってある。

椎名林檎(ソロ)が東京事変になってから、「新しい自分が見えた」みたいな事いってたけど、それも、いろんな人が自分を引き出してくれるようになったっていうことなんじゃなかろうか。



でも、自分を引き出してくれる誰かの存在は、ひたすらOUTPUTを続けないと、生まれないんだろうな。




編集者という病い

編集者という病い